ここは板の間

僕はなんでも気ままにかくよ

今の自転車と自分に足りないもの

itanomaです。タイトルは意識がやや高いですが、とりあえず自転車に関しては諸々揃ったなという気がしているので、ここであと何があれば楽しめるかを考えたい。

まず、ホイールとかコンポーネントとか、グレードアップするということがありますが、この辺は正直優先度はあまり高くない。

ロードバイクとしての面白みが既にあることを前提に、もっと体験の質を上げるか否か?

体験の質、これは確かに不自由を感じたまま自転車に乗ったって面白くない。つまり、今の自分はそこまで自転車に対して不自由さを持っていないということか? と考えると少し違う。今の自分が思う不自由さは、面倒臭さにある気がする。

ロードバイクに乗るというときに、サイクルジャージやヘルメット、ライトやサイコンのバッテリー、タイヤの空気圧、ディレイラーやチェーン、ワイヤーなどの機械的部分。などなど、気にしだしたらキリがないので、ちょっと変速がアレかな? チェーンが擦れちゃってるかな? ぐらいは気にしていない。

しかし、服装なんかはけっこう面倒臭さがある。そこまでサイクルジャージ着るほどの外出か? とか、サイクルジャージ着なきゃダメか? とか
要するに、四の五の言わずにロードバイクに跨って出発できる状態が一番ストレスがなくていいなと思うときがある。

四の五の言わずにロードバイクに跨って出発できる状態とはなにか?

人に強い意志はないが最近の自分のスタイルで、ああしたいこうしたいと思っても自分が動けないことが多々ある。本当はしたくないんじゃね? と思うけど、それにしては長いことああしたいと思っていることは事実でもある。

結局、自分の意志とは別のところで自分の行動が決められてしまうという現象は発生している気がする。

そもそも強い意志とはなにか、なんだ?

強い意志のイメージは、"激しい感情"、だろうか。高い熱量のような印象。となれば、自分は自転車に乗るのに毎回「よし!!! 乗るぞッ!!!」と鼓舞しなきゃいけないのか?

ちょっと"意志"のこと考えすぎてゲシュタルト崩壊起こしてきたので辞書を引く。 意志:コトバンク

とりあえずこの場では意志を以下のように取り扱いたい。

意志は多義的な概念で広狭さまざまにとらえられる。日常の語法で意志が〈強い〉とか〈弱い〉と言われるような場合の意志とは,人間が本能的衝動を抑制し,一定の目的意識のもとにある行動を起こしたり持続したりする人間特有の心的能力を指す。

人間が本能的衝動を抑制し、の部分は少しわかる。自分が抑えるべき本能的衝動は、やはり、面倒臭さにある。ちなみに、面倒臭さを解決する最も簡単なことは諦めることだ。自転車に乗るのを諦めて勢いよくベッドに寝転がる、そうするとさっきまでの面倒臭さがいっきに霧散して一時晴れ晴れする、窓の外に広がる青空、流れる雲を眺めて眠りに落ちるのはしばしばあるものだ。

ちょっと気合入れてロングライドとかはむしろしっかり準備したい思うから意外とそこまで面倒臭さを感じない。ちょっと外で走ろうかなとか、実走練習しようかなってときが、いっちばん面倒。意志が弱いのだ。
面倒臭さはもはや自分の意志では制御が困難、なので、自転車に乗るまでのハードルをとにかく下げることを意識する必要が出てきた。例えば普段の服装を自転車に最適化してしまうとか(さすがにサイクルジャージで日常は過ごせない)。自転車の置き場をすぐ出発できるような場所にするとか(これは住んでいる家の都合で無理がある)。

唐突だけど、ジョジョ第5部でプロシュートの兄貴が「心の中で思ったことは既に実行されている」的なことを言っている。思うのも実行されるのもほぼ同じタイミングに見える。これは実に理想的と思う、思ったとほぼ同時、まさに四の五の言わない。この場合、果たして本能的衝動抑えた強い意志なのか!!? とは思うものの、人間が言葉でなにか言う時、動かしているのは口だけで、大事なことはそのあと自分がどのように動くかだ。ま、さすがにあまりに衝動的過ぎるのも問題だけど。

そんなわけで、ゆっくりとでいいからもっとカジュアルに自転車乗れるような生活にしたいなーと思うのだった。(なにが自分をそこまで考えさせるかは謎)